核兵器配備&開発・大軍拡は他国への威嚇に。改憲→敵基地攻撃→核戦争へ!平和的紛争解決に全力を尽くして下さい。
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平和憲法9条
★日本国憲法を作ったのは
だぁれだ?☆彡
totogold.blog.shinobi.jp/Entry/792/
★憲法が変わったらどうなるの?★
totogold.blog.shinobi.jp/Entry/710/
私達の命 私達の権利 私達の自由
ひとりひとりが 尊重され
話し合い 平和を築いていく
現憲法を 大切にしたい
憲法を守り 命を生かそう♪
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日本共産党100周年祝
日本共産党創立100周年記念講演会
100年もの間。
非暴力の反戦・平和運動・労働闘争と被災者・困窮者の生活相談・支援を行って来た 日本共産党は、頼もしいです♪
★100年目の日本共産党
成長革命政策
農業と農山村 気候危機打開
困った時は日本共産党
阪神淡路大震災の時に、被災者の声を聞き国会へ届け、被災者支援制度が出来ました。
災害が起きれば即駆け付け、被災者の話を聞き、自治体や国会へ声を届け、対策がとられてきました。
私達が今、支援を受けれるのは
日本共産党のおかげです。
★困った時は日本共産党に相談はこちら
★助かったよ♡という皆様の声はこちら
ありがとう♡
日本共産党の成果
★1946年。
日本共産党の憲法草案から
たくさんの案が参考にされ
日本国憲法が誕生しました。
★2021年。
国民に10万円の給付は
野党+国民の運動の成果です。
★2022年。
代替え保育拡充を支援
私は共産党員ではありませんが、尊敬し応援しています。
誹謗中傷はもう止めよう
★テレ朝 日本共産党のデマ吹聴謝罪
日本共産党へのデマ攻撃・誹謗中傷・偏見は、よろしくないと思います。
日本共産党を暴力革命の政党だというのは、戦前から行われる国家的詐欺報道です。
戦中は、日本共産党は弾圧され、政治犯として惨殺されました。
戦後日本共産党は、何度も冤罪で逮捕されていますが、一度も暴力の有罪判決を受けたことはありません。
偏見対象が、アジアや社会的立場の弱い精神障害者・女性・若者にまで広がっている。
全て軍事独裁政権が、国の悪政の責任逃れをするために、国民を悪者にしておとしめたデマ・偏見報道です。
偏見・誹謗中傷の悪循環を
もう止めなきゃ。
誰もが 明日は我が身です。
このままでは、日本人は人を尊重する温かな人間性を無くしてしまいます。
日本共産党の中身を見て、真実を確かめて頂きたいです。
みんなで止めなきゃ
「もうやめよう」
個人の問題は政治社会の問題
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母が今頃になって写真見ながら、
「これこれ。この草地に家が立っていたのよ。
わからないでしょう。」
と話まして・・。何で一度にはなさんのかいなぁ~~??
ということで。前回の報告に写真を追加しました。
お手数ですが、ご貴重なお暇な方がいらっしゃいましたらw
前回の記事の写真だけ、見てやって下さい。
こちらです(クリック)
よねちゃんの新聞記事
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。
母が仲間内の新聞に投稿する、ひとこまレポを書いてくれたんですよ。
原稿用紙に数日かけて、書きまとめたのですが。
何度も書き直して、本当に短くまとめるのが大変で、とても苦労してました。
読んで、私は感動しました。
前回の話と被るところがあります。
…*♣*……………………………………………………………
被災地気仙沼で感じたこと
私は先日。お友達のEさんと、被災した気仙沼へお手伝いに行ってきました。
水産業者の街が、津波で壊滅状態になっていました。
「家の中に、津波で流された車が3台も入って来て、家が壊されてしまったんだ。」
日本一海水浴場に近い駅「はまなすステーション」の建物だけを残して、周辺の街並みや住宅が無くなっていました。
JR気仙沼線も橋げたも線路も無残な姿、いつ通れるようになるかもわからないという事でした。
3/11 の後Eさんの呼びかけで、皆さんで気仙沼へ支援物資を送り届けた事(冬・夏)、気仙沼のお友達よねちゃんはとても感謝されていて
「本当に何もない。また雪も降って寒い中、大変助かりました。皆さんによろしくお伝えください。」
と、何度もおっしゃっていました。
私達は気仙沼滞在2日間、千葉・京都などから届いた支援物資の仕分け作業・被災者に物資を届ける手伝いをしました。
仮設住宅を訪問した時大きな地震があり、津波注意報が出されました。
そこで1時間程足止めになった時、小学3年生位の女の子が「椅子に座って」と椅子を運んできてくれ「このお菓子、家で食べないから、皆さんでどうぞ。」と持ってきてくれました。
女の子は、お母さんを亡くされたとのこと。私達と「さようなら」をする時、隣の女性の洋服にしがみついていました。
あの日まで一緒に暮らしていた、大切な家族を亡くしたそのつらさを、強く感じました。
まだまだ復興までに時間がかかりますが、現地の方は困難な中、仕事を再開していました。
ボランティアに来られる方の数が減り、被災地への関心が薄れてきています。
「被災地の現実をとにかく見てほしい。必ず復興するけれど、どんな風に復興していくのかも見てほしい。
一人でも多くの方に来てもらい、目で見て知ってほしい。
そして帰ってから、何が出来るか考えてもらいたい。」
よねちゃんが話してくれました。
私も、これからも出来ることを、応援していきたいです。
…*♣*……………………………………………………………
よねちゃんが、
「ボランティアに来られる方が少なくなって来て、届いた支援物資の仕分け作業が大変なのよ。」
とお話されてました。
被災地でお店が開き始めたこともあり、
「仕分けが大変なのでこれからは物資を送るのではなく、チャリティーバザーなどで集めた募金を送り、被災地で必要な物資を購入してもらうことになるだろう。」
と、母は話していました。
私が7月に、
「みんなで集めた募金を送って、被災地でネットショップから必要な物資を購入してもらったらどう?
こちらから送ると送料も高くつくし。」
(支援物資を28箱送った時、送料に数万円かかたことがあり、びっくり仰天!でした)
(今知ったのですが。被災地は、携帯を持っていても電波が届きにくいとのこと。)
私が尋ねると、母がとても良い話をしてくれたのです。
「お金だけを送ると被災者と支援者との間に、仲間の繋がりが出来ない。
時間が経つごとに関心が薄れ、他人ごとになってしまう。
支援物資だけでも交流があると、その後も関心を持ち。
被災地に遊びに行き、末永く復興の支えや交流に繋がるから。
また被災した時の対策や復興の手立て・情報交換も出来、自分達が被災した時も助かり、支援の輪が出来る。」
なるほどなぁ。ママさんの集いは、賢い!!
ぐっときましたね。
これからも、きっと交流が持てると思います。
新聞で呼んだのですが。
今被災地のボランティアで求められているのは、長く滞在出来、被災者の声を長期にわたって聞いて下さる方。
住みやすいロッジの仮設住宅もあれば、粗悪な建物の仮設もあり。また、お店から遠い仮設もあり。
それぞれ環境に合った対応が必要になって来るとのことです。
これからのボランティアは、サポート力が要りますね。
私は御両親を亡くされた子供達のために、何が出来るだろうかな?
☆.。.:*・°
母と写真を見ながら話してました。
気仙沼の方の写真があると良いのにね。
建物ばかりで人の写真がないよ。
母:「申し訳なくて、とても撮れないよ。」
そうだよね。
こちらは、避難所になっている学校を、遠くから撮った写真です。
廃車が積んであるね。
母は、学校にかかっている看板を撮りたかったんですって。
「~~挑戦!未来に羽ばたく 南っ子」
何に挑戦するのかな?
一緒に手を繋いで、歩いていこうね。
(。・ω・。)o"エイ(。・ω・。)o"エイ(`・ω・´)ノ"オゥ!!
また思い出したら、追記します。
「これこれ。この草地に家が立っていたのよ。
わからないでしょう。」
と話まして・・。何で一度にはなさんのかいなぁ~~??
ということで。前回の報告に写真を追加しました。
お手数ですが、ご貴重なお暇な方がいらっしゃいましたらw
前回の記事の写真だけ、見てやって下さい。
こちらです(クリック)
よねちゃんの新聞記事
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。
母が仲間内の新聞に投稿する、ひとこまレポを書いてくれたんですよ。
原稿用紙に数日かけて、書きまとめたのですが。
何度も書き直して、本当に短くまとめるのが大変で、とても苦労してました。
読んで、私は感動しました。
前回の話と被るところがあります。
…*♣*……………………………………………………………
被災地気仙沼で感じたこと
私は先日。お友達のEさんと、被災した気仙沼へお手伝いに行ってきました。
水産業者の街が、津波で壊滅状態になっていました。
「家の中に、津波で流された車が3台も入って来て、家が壊されてしまったんだ。」
日本一海水浴場に近い駅「はまなすステーション」の建物だけを残して、周辺の街並みや住宅が無くなっていました。
JR気仙沼線も橋げたも線路も無残な姿、いつ通れるようになるかもわからないという事でした。
3/11 の後Eさんの呼びかけで、皆さんで気仙沼へ支援物資を送り届けた事(冬・夏)、気仙沼のお友達よねちゃんはとても感謝されていて
「本当に何もない。また雪も降って寒い中、大変助かりました。皆さんによろしくお伝えください。」
と、何度もおっしゃっていました。
私達は気仙沼滞在2日間、千葉・京都などから届いた支援物資の仕分け作業・被災者に物資を届ける手伝いをしました。
仮設住宅を訪問した時大きな地震があり、津波注意報が出されました。
そこで1時間程足止めになった時、小学3年生位の女の子が「椅子に座って」と椅子を運んできてくれ「このお菓子、家で食べないから、皆さんでどうぞ。」と持ってきてくれました。
女の子は、お母さんを亡くされたとのこと。私達と「さようなら」をする時、隣の女性の洋服にしがみついていました。
あの日まで一緒に暮らしていた、大切な家族を亡くしたそのつらさを、強く感じました。
まだまだ復興までに時間がかかりますが、現地の方は困難な中、仕事を再開していました。
ボランティアに来られる方の数が減り、被災地への関心が薄れてきています。
「被災地の現実をとにかく見てほしい。必ず復興するけれど、どんな風に復興していくのかも見てほしい。
一人でも多くの方に来てもらい、目で見て知ってほしい。
そして帰ってから、何が出来るか考えてもらいたい。」
よねちゃんが話してくれました。
私も、これからも出来ることを、応援していきたいです。
…*♣*……………………………………………………………
よねちゃんが、
「ボランティアに来られる方が少なくなって来て、届いた支援物資の仕分け作業が大変なのよ。」
とお話されてました。
被災地でお店が開き始めたこともあり、
「仕分けが大変なのでこれからは物資を送るのではなく、チャリティーバザーなどで集めた募金を送り、被災地で必要な物資を購入してもらうことになるだろう。」
と、母は話していました。
私が7月に、
「みんなで集めた募金を送って、被災地でネットショップから必要な物資を購入してもらったらどう?
こちらから送ると送料も高くつくし。」
(支援物資を28箱送った時、送料に数万円かかたことがあり、びっくり仰天!でした)
(今知ったのですが。被災地は、携帯を持っていても電波が届きにくいとのこと。)
私が尋ねると、母がとても良い話をしてくれたのです。
「お金だけを送ると被災者と支援者との間に、仲間の繋がりが出来ない。
時間が経つごとに関心が薄れ、他人ごとになってしまう。
支援物資だけでも交流があると、その後も関心を持ち。
被災地に遊びに行き、末永く復興の支えや交流に繋がるから。
また被災した時の対策や復興の手立て・情報交換も出来、自分達が被災した時も助かり、支援の輪が出来る。」
なるほどなぁ。ママさんの集いは、賢い!!
ぐっときましたね。
これからも、きっと交流が持てると思います。
新聞で呼んだのですが。
今被災地のボランティアで求められているのは、長く滞在出来、被災者の声を長期にわたって聞いて下さる方。
住みやすいロッジの仮設住宅もあれば、粗悪な建物の仮設もあり。また、お店から遠い仮設もあり。
それぞれ環境に合った対応が必要になって来るとのことです。
これからのボランティアは、サポート力が要りますね。
私は御両親を亡くされた子供達のために、何が出来るだろうかな?
☆.。.:*・°
母と写真を見ながら話してました。
気仙沼の方の写真があると良いのにね。
建物ばかりで人の写真がないよ。
母:「申し訳なくて、とても撮れないよ。」
そうだよね。
こちらは、避難所になっている学校を、遠くから撮った写真です。
廃車が積んであるね。
母は、学校にかかっている看板を撮りたかったんですって。
「~~挑戦!未来に羽ばたく 南っ子」
何に挑戦するのかな?
一緒に手を繋いで、歩いていこうね。
(。・ω・。)o"エイ(。・ω・。)o"エイ(`・ω・´)ノ"オゥ!!
また思い出したら、追記します。
⊹⊱✽⊰⊹
日本共産党の名前は、お互いを尊重し
人と人が力を合わせて 共に生きていこう
という理念をうたったもの。
私達が目指す共産主義とは
(偏見や差別・誹謗中傷のデマ攻撃・労働搾取、望まぬことの強要
権力による弾圧から 私達の権利が奪われることのない)
人間の自由と 人間の開放を目指す社会です
~志位和夫氏の言葉より
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